公職選挙法を熟読して、紛らわしい行動は厳に慎むことが重要です。
特に、総支部主催のイベントで、「売名行為」と看做されるとたいへんやっかいです。
検察は、通報や事前の調査等によって、公職選挙法違反事件を常に精査し必要があれば関係者の任意聴取をすることが出来ます。
ひとたび呼び出されたら、「お金配っただろう」「もらっただろう」と同じ、短いフレーズの質問を、担当者を変えて次々、毎日のように、長時間尋ねられることになります。実際にはそういうことが無い(例えば陣中見舞いのつもりだった、とか)と抗弁したところで、やった、やってないの問答を終了することを決めるのは、検察の側であり、そこに、被疑者の意思が入り込む余地はありません。
特に問題になるのが、公職選挙法199条の3です。
この条文では、お金配った(寄附をした)とされる公職の候補者又は公職の候補者になろうとする者(公職にある者を含む)のまさに当該寄附行為の「様態」(実体)が、どういう場合はダメで、どういう場合はオッケーかが、必ずしも厳密に規定されておりません。というか、ダメに決まっているわけですが、配り方によって、主語部分と術語部分の解釈を変えて、お金を配ったのと同じ効果を得ようとする候補者(政治家)が後を絶ちません。
法学は、法を解釈する営みであるとなにかの本で読んだことがありますが、解釈するのは誰なのか。当事者、検察、裁判所、有権者と、ある一つの行為が波及する先は多岐にわたります。当事者が仮にAという解釈をしたからといって、他の波及先がそれと同じ解釈をするとは限らないのです。
自分がこう解釈したから、これでいいんだと当事者だけの言い分がまかり通るならば、世の中に行政も司法も不要になるのです。
総支部のイベントでは、候補者や公職にある者はこの199上の3に該当しないように、出来うる対策のすべてを取る必要があると思います。というか、総支部の政治活動イベントで、そもそも、スタッフなり、そのイベントに関わる総支部の人間として、名前を出す必要はもとより無いはずです。
なぜなら、あるイベントの目的があるとします。例えば、子ども食堂でもいいですし、党員の親睦会でも、勉強会でもかまいません。そうした目的のイベントでは、誰か特定の人間の名前(名称)が、イベント参加者に周知される必要は無いわけです。
子ども食堂の例でいえば、みんなが食事を摂りにやってくるわけで、そこで、○○です!と名乗ったり、○○と名前が印字されているなにかのサイン(オブジェクト)があるのは著しく不自然です。以前、お祭りで、うちわに政治家の名前を印刷して配って問題になった議員がいました。お祭りで、うちわをもらえるのは分かるとして、うちわは、風を送るための薄い板状のものです。風を送るのに、名前が印刷されている必要はまったくありません。
子ども食堂でも何でも、何か目的があるとして、名前が印刷されたものを渡す合理的理由はないわけです。ですから、総支部としては、名前が印刷されたものを配ったり設置することは論外として、全員匿名でやるのが安全だと思います。
国会でも、類推の部分の解釈で、質問した議員がいました。こちらも併せて目を通しておきましょう。