権力とは?
権力とは、力や構造、制度、場所といった実体を持つ物ではなくて、状況とか、関係のこと
権力 とは、 制度 でも、 構造 でも、 ある 人びと に 備わる 力 の こと でも ない。 ある 社会 における、 複雑 に 入り くん だ 戦略 的 状況 の こと
箱田徹. 今を生きる思想 ミシェル・フーコー 権力の言いなりにならない生き方 (講談社現代新書100) (p.16). 講談社. Kindle 版
権力 とは、 なんらかの 振る舞い を する 複数 の 行為 者 の あいだ に、 ありとあらゆる ところ に さまざま な かたち で 見いださ れる。 この よう に、 実体 では なく 関係 として 権力 という 概念 を 定義 し 直し ては どう か、
箱田徹. 今を生きる思想 ミシェル・フーコー 権力の言いなりにならない生き方 (講談社現代新書100) (p.16). 講談社. Kindle 版
権力 は 何 かを する なと 命じる のでは なく、 むしろ 何 かを 行う よう に 仕向け て いる から だ。「 権力」 とは、 禁じる もの では なく 生み出す もの で あり、 これ 以上 話す な、 黙っ て おけ と 命じる のでは なく、 もっと 話し て ほしい と 促す。 つまり、 権力 の 主要 な はたらき とは、 何 かを 禁止 する こと では なく、 生産 する こと に こそ ある。 したがって、 権力 から 自由 に なる こと など あり え ない。
箱田徹. 今を生きる思想 ミシェル・フーコー 権力の言いなりにならない生き方 (講談社現代新書100) (p.20). 講談社. Kindle 版.
ケアワーカー化する地方議員
地方政治家の仕事(作業)は新自由主義的資本主義の巨大な、無限回転運動からこぼれ落ちた人をいかに低コストでなだめるか、すなわち本質的にはケアワークのような営みに固着するに至りました。「規律」と「生政治」というフーコーの術語読解を通じて、そうした結論に思考が至るかどうか、ぜひあなたも確かめてみましょう。
「規律」は、個人に直接的に働きかける権力技術だ。近代社会は、人にある時間と空間のなかで一定期間を過ごし、かなり特殊な動作を繰り返して行い、その動きを最適化するように人々に求める。工場のような生産現場でも、学校でも、軍隊でも同じだ。私たちは身体への訓練を通してその場で役割を果たすにふさわしい物へと生産される。例えば労働者、児童生徒、兵士という役割を果たす主体に「なる」。
箱田徹. 今を生きる思想 ミシェル・フーコー 権力の言いなりにならない生き方 (講談社現代新書100) (p.26). 講談社. Kindle 版.
人は収容されることによって集団に属し、資本主義社会を担う主体として日々再生産されている。そこでルーチン化されている動作の「不自然さ」は、今日でもあらゆる労働現場で心身のトラブルが発生し続けていることから分かる。一般的にいえば、個人の身体を機会とみなしたうえで、その力を最大化させ、最大限の効果を得ようとするのが規律である。
これに対して、「生政治」は、人間集団に間接的に働きかける。ただし、ここでいう人間集団とは、意志や権利の主体としての「人間」の集まりのことではない。生命体としての「人」の集まり、あるいは個体群としての人工=住民のことである。生政治の目的は、集団の健全性を上昇させることにある。そしてそのために、十九世紀に本格化した統計学や医学、生物学、公衆衛生学の知見と技術を駆使し、さまざまな施策によって住民の「環境」へと介入する。例えば出生率の上昇、平均余命の向上、伝染病や感染症のリスク管理を行うこと、また労災保険の創設、貯蓄制度の整備、住環境改善がそれだ。
こうした介入は、(中略)住民に「よりよい」生を提供するという意味で、生政治的だ。ただしその「良さ」は人口を管理する側が一方的に望ましいと考え、定めたものだ。そのスタンダードを外れてしまうと、生きづらさはとたんに増すのである。
残念なことに、フーコーが分析を開陳した1970年代から、もう半世紀が経過しました。せっかく、生政治(とやら)が、人々に「よかれ」と思って提供している諸々の施策も、メディアの多様化によって市民の欲望の多様化が加速し、個々の「生きづらさ」は行政(すっかり数を減らされてしまった)がフォローできる物理量をとっくに超えています。
そこで地方議員の出番というわけです。住民の健康と安心を守ると標榜している以上、現代社会が宿命的に作り出し続ける「こぼれてしまった人たち」への直接的な慰め、ケアを引き受ける担い手は、まさに地方議員たちがこれを担う以外にもはやだれもいないのです。
こう書くと福祉国家=左翼の反資本主義的批判かと思われるかもしれませんが、フーコーによれば、50年来、「左翼」がまともに存在できたためしはありません。そうではなくて、資本主義、新自由主義的資本主義が時間をかけて、こうしたニーズを生み出してきた。そこを手当てするための人材も、新自由主義的なイデオロギーの下で、どんどん減ってしまった。だから地方議員しかいないということをいっているのです。